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ケア労働と「言葉の力」について

妊娠・出産・育児という経験は、私が在日社会に出会ったときの衝撃を超えるぐらい、私にとって大きな変化をもたらしている出来事だ。この経験を言葉にしたいとずっと思っている。他方で「言葉の力」というものについて、私は今とても複雑で、矛盾した気持ちを抱えている。この複雑で矛盾した気持ち自体に、向き合ってみたいと思う。

昨日、済州島四三の次世代の会の枠組みで、在日2世女性活動家の先輩の個人史をお聞きする機会に恵まれた。(ご講演本当にありがとうございました、そして企画してくれた方々も、本当にありがとうございます)今回、事前に質問させて頂いたこともあって、いま私が聞きたいドンピシャのお話を聞くことができた。それは、介護や育児といったケア労働の世界(感情労働、非言語の世界)と、人権運動や学術研究の世界(言論活動の世界)とが、同じ一人の人のなかで、どのように繋がっているのか、繋がりうるのか、ということだ。

泣くことしかできない赤ちゃんは、一生懸命に体を使って何かを訴える。そして私もまた初めての育児で、子どもが何を求めているのか、ああでもないこうでもないと、必死に試行錯誤する。共通言語のないなかで、必死に伝えようとしたり、必死に理解しようとしながら、いつの間にか強い関係性ができていく。実はこれがコミュニケーションの一番の基礎なのだということ、当たり前かもしれないが、育児を通して実感している。また、もうひとつは、育児の世界では、何よりもまず相手(子供)が優先で、自分は後回しになる。こうしたことは、介護の世界も似たような世界だと思う。つまりケア労働の世界では、①非言語のコミュニケーション能力が向上し②相手を優先し自分を後回しにする習慣が身につく。そして私が思うに、この世界にずっといると、相手ではなく自分自身が、いま何を感じ、考え、どうしたいのか、ということを、「言葉で伝える」ということが、難しくなってしまうのだ。

だから、すごくもどかしい。自分がどうしたいのか、何を求めているのか。考える時間もないし、アウトプットする場もない。急に誰かに、あなたは何を優先したいの?と聞かれても、言葉に出てこないし、ただただ今どういう状況におかれているのか、自分の意見ではなく、状況説明を、やたら長々と、してしまう。そして、いるよね、こういう人、と自分で思ってしまうのだ。会議なのに自分の意見は何なのか不明瞭で、ただただ事情や状況説明だけをする人。あるいは、喧嘩の後の話し合いなのに、結局何をどうしてほしいのか言えずに感情だけを露にする人。前者も後者も女性のイメージだ。前者は、活動や職場で、中心ではなく周辺でケア労働を強いられている女性の姿であり、後者は、家庭でずっとだれかの世話をしている母の姿だ。そして私はまた考える。これまでの私はいつも、誰かにケアを押し付け、自分は中心にいて、物事を言葉で考えてこられたのではないか、ということだ。

そのような思いを抱いたとき、言葉で理路整然と、世界情勢を説明したり、自分の主張を展開できる人に対して、感情的に反発したいような、否定したいような気持になったり、何か自尊心を傷つけられたような気持になり、一人で勝手に落ち込んでしまう。講演や会議の話が以前より頭に入ってこない、遠くに感じるのは、こういう経緯からだ。

私は以前のようにもっと言葉で説明できる頭に早く戻りたい気持ちと、今得ている視座を失ってしまいたくない気持ちとで、揺れている。
こう書いていても、やっぱり、結論がなかなか出てこなくて、冗長になってしまう。昨日の講演の冒頭で、「ケアを必要とする赤ちゃんや高齢者は圧倒的弱者であり、その圧倒的弱者の人権を担っているのが圧倒的に女性である」ということをおっしゃった。私はその一言だけで、まず救われた。それはつまり、言論活動だけが人権運動ではなく、ケア労働こそが、最底辺の人権に携わっていることなのだということを明言してもらえたからであり、またその先輩が、実際にお母様の介護を担いながら、地に足ついた人権運動の事務的な役割をしっかりと担い、そして常に個としての学びの時間を大切にし、読書と研究の時間を持ち続けられていること、そしてその見地からの、自分の関わってきた運動についての評価や分析に、とても実感が込められていたからだ。

最後に交流会の場で、上記のようなことをお話させてもらったら、「これまで自分が表現していた言葉とはまた違う、もっと深い言葉で表現していける機会になるのではないか」と言ってくださった。そうなれるかどうかはわからないけど、そうしていきたいし、そのためにはやはり、自分の感じていることを、論理的ではなくても、洗練されていなくても、自分の言葉で発してみること書いてみること、そして、また本を読み、学び続けていくこと、なのだと思う。


# by hwaja_piccolo | 2020-12-04 13:54 | 日々

コロナと育児とメンタルヘルス

コロナによって、4月からスタートする予定だった新生活の出鼻をくじかれた人は多いだろう。私もその一人だ。


私は1歳5カ月のこどもを保育園に預け、週3日はパート勤めし、週2日は母の介護に実家に行く生活を始める予定だった。4月2日の入園式を前に、タオルにゴムを通して作るエプロン6枚、そのエプロンやハンドタオル、ガーゼ、帽子などあらゆるものに専用のアップリケを縫い付けるという、裁縫など家庭科の授業以来まったくしてこなかった私にとって超めんどくさい作業、そして何度も同じようなことを記入させられる各種書類、すべての持ち物の名前付け。それらを、子を寝かしつけた時間内になんとかやる、やりきった、私にとって、すでにコロナの感染が拡大しつつあった3月末時点でも、保育園に預けるつもりは満々であった。


しかし4月1日夜に、コロナで乳児重症のニュースが入る。それまでこどもや若者は重症化しないと散々聞かされていたのにも関わらず、その報道を詳しく読めば、0~10代の青少年を年齢別でみると、年齢の低い子どもほど重症化することがわかったと書いてある。なんということ。でも考えてみれば小さなこどもに免疫力が無いのは当たり前だ。そんなことも、オリンピックを控えていたこの国では、報道が抑えられていたのかもしれない。やはり、こどもは親がしっかりとアンテナを張って守らないといけないと強く痛感した。

また、そもそも子を園に預けようと思ったのは、実家の母の調子が悪いのが続いているから。それもコロナで、今は私が行くことのほうが、むしろ母を感染のリスクにさらすことになる。

話を保育園に戻すと、登園自粛するにも、まずは園の雰囲気は知っておきたく、2日の入園式には参加した。先生方の様子も設備もしっかりしている感じで、安心することが出来た。同じ1歳児の新入園児9名のうち、出席していたのは6名。園に聞いてみると、3名とも、とりあえず今日の式はお休みするという連絡だけだと言う。皆さん迷っているのだろう。そして、本当は心配でも仕事を休めないお母さんだってたくさんいる。園の先生たちもきっと内心悩みながら、そうした親御さんのために応えるのが責務だと、踏ん張っておられるのだと思う。結局私は担任の先生とお話し、また職場にも相談して、とりあえず1週間休ませて頂くことにした。というのは近いうちに緊急事態宣言が出されて休園になる可能性があるのではないかと思ったからだ。


4月7日、大阪を含めた7都道府県に緊急事態宣言が出された。しかし保育園は休園にはならなかった。やはり親が医療従事者であったり或いは経済的に休めない場合、預け先がないのは困る(補償のないなかでは)のも当然だ。私は事態が深刻になっているには違いないので、職場にも了承を得て、休みを1カ月延長することにした。


さて、夫もその少し前に会社から在宅の令が出て、週2日は出勤なのだけれど、在宅の日は、一日中3人で過ごす生活がスタートした。子と私の2人だけであれば、優先順位は①子、②私とハッキリしている。しかしそこに夫が入って来ると、たちまちどう動いていいのかわからなくなってしまう。たとえばお昼ご飯。子どもが食べやすく、私も食べられるものを作っていたのが、3人になると、夫が美味しいと思うもの、子が食べやすいもの、これを両立させねばならない。買い物の量も増えるし、キッチンにいる時間も増える。気が付いたら、一日中ほとんどキッチンにいるのではないかという日が続いた。というのも在宅だと、夜ごはんもいつもより断然早くなる。いつもは7時半か8時の夕食が、在宅だと6時に用意できていないといけないような気がしてしまい、お昼御飯を片付けたら、さて夜ごはんは何を作ろうかと考え、冷凍しているものを解凍しておこうか等と準備に入ったりする。


そんなとき、最近気に入って読んでいる料理家・エッセイストの寿木けいさんがブログで、やはりコロナの自粛生活が始まって、なんだか一日中キッチンにいるような気がすると書かれていて、こんなに料理が得意な人でも、そんな愚痴(?)をこぼすんだと知り、とても勇気づけられた。主婦の皆さん、安心しましょう(笑


とはいえ、私の夫は料理を作ることは嫌いでは無いので、出勤日の自分のお弁当であったり、また休日の昼ごはんはすすんで料理をしてくれる。なのでこれぐらいで愚痴を言うのは、やはり罰が当たるような気もする。


それにしても、昨日だったか、たまたま見た報道番組にコメンテーターで出ていた某社会学者の男性が、最近はアーティストが無料でコンテンツを流してくれているし、家での生活もだんだん楽しくなってきた。僕たちはそろそろ、家でもっと楽しむことを考えていったほうがいいのではないか、的なコメントをしていて、「あんたは独身男だからそう思うんだろ、その台詞、主婦に向けてみな」と毒づいてしまった。その社会学者が独身かどうかもちゃんと知らんけど(笑。でも、何の悪気も無い男性の台詞に、いちいちイラつくようになったのは、やはり子どもを持つようになってからのような気がする。


子どもを産んで変わったこと。これについては、いつかブログで書きたいと思っていた。38歳まで自分の好きなように生きてきた私にとって、常に自分を後回しにして毎日24時間生きるということは、想像していたよりずっと、体力的にも精神的にもきついことだった。毎日頭のなかにめぐっているのは、「子を一人育てるのにこんなにつかれるのに、二人以上育てるってどういうこと??」である。二人以上持つ友達に会っては、その言葉を投げかけてしまう。みな、産んでしまえば何とかやるしかないのよ、と笑って言うが、私には、二人産もうという気持ちが全く湧いてこない。当初は、自分が弟妹がいて良かったと常々思っているので、我が子にもきょうだいを作ってやりたいと考えていた。しかし、現実的には、私には、無理だ。少し年月が経てば考えも変わるのかもしれないが、いまの私にはどうしても考えられない。なんとか早く、自分の体力や思考力を、元に戻したい。そして、私がやるべきことを再開したい。


体力について言えば、まず産後3カ月は本当に心身ともにきつかった。小さな命が、自分を求めて泣き続けるというそのことに、最初から慣れる人はいないだろうが、私も例にもれず、すごく緊張して張りつめていた3カ月だったように思う。1カ月は里帰りで実家の両親に甘えきりであったが、自宅に帰って来てからは、終始張り詰めている自分の気持ちと、家とはくつろぐものであるという、何の悪気もなく当たり前の空気感で過ごす夫との落差に、ほんの少しの言動に、なんて思いやりが無いのと落ち込んだり、当たったりもした。何をしてほしいのか、何をしてほしくないのか、的確に言葉を発することのできる冷静さなどなく、結局は夫も、そんな妻に当たられて、家でくつろぐことも出来ていなかった日々だったろうと思う。100日祝いを両家の親を迎えて行うことが出来た日、我が子は主人公であることをわかっているかのようにカメラの前で満面の笑みでふるまってくれ、私はその夜、久々に安心して眠れたような気がした。


しかし睡眠。これが本当にいまだにきちんと取れておらず、体の不調の原因だ。1歳5カ月になる娘。いまだに夜の授乳を卒業できない。しかも最近は大声で叫ぶので、ついやってしまう。これは私の気の弱さの問題だとわかっているのだが、やめられないでいる。

とにかく、睡眠が十分取れていないこと、これは、うつやメンタル疾患のリスクになりうる。また運動不足もそうだ。運動不足に関しては、わかってはいるけれど、こんなにも抱っこや授乳で毎日体を使ってヘトヘトなのにも関わらず運動不足だと言われるのは、気持ちの面で受け止めたくない自分がいた。しかし、妹が薦めてくれた精神科医の方のyoutubeチャンネル(樺チャンネル)で、「睡眠、運動、朝散歩」が繰り返し言われているので、ついに私も、「朝散歩」(軽いジョギング)を始めてみることにした。


実は私の夫は早起きだ。いつも5時間半か6時には起きて、ボランティア活動のメールをチェックしたり書類をこなし、そして宅建の勉強に英語の勉強、そしてNHKニュースと韓国語のポッドキャストを聞きながら自分のお弁当を作っている。自分のルーティンを作り、淡々と静かに確実にこなしている。彼の座右の銘は「続けること」だ。もし自分がプロジェクトXで取り上げてもらうことがあれば、必ず、その決め台詞を最後に言うだろう、と。

私はと言えば、早起きは大の苦手、また継続力も無く、飽きっぽい性格だ。そんな私が唯一続けられたのが彼と出会ったボランティア活動であり、そこで出会って様々な苦労を共有しなければ、一緒になることもなかっただろう。


そう、傍にそんな御手本があるのだから、私ももっと前から早起きを始めればよかったのかもしれない。しかし、子を優先し自分を後回しにする「母親業」をやっている私にとって、いつでも自分のペースを崩さない(ように見える)夫は、羨ましくもあり、時に疎ましくさえ、あった。特に、浅い眠りを繰り返し熟睡できずにいる中での目覚まし時計のスヌーズ音と言ったら!


しかし、私もいいわけばかり言ってられなくもなってきた。というのは、産後1年1カ月経ち、ものすごく遅い「生理ちゃん」がやってきたのだけれど、ええ、生理痛ってこんなに辛かったっけ??いや、産前より確実に辛い日数が増えている!生理中よりも、生理前と生理後に、信じられないくらいだるくて何もできない日がある、一か月のうちで快調と思える日数が少なすぎる!という日々をいま4カ月ほど経験し、色々考えた結果、運動不足による血行不良だと結論付けた。これはやはり意識的に運動をしないといけない。


というわけで4日前から始めたのが、早起き・朝ヨガ・朝散歩だ。ヨガもyoutubeのお気に入りのチャンネル(B Life)を活用し、毎朝少しずつ違う朝ヨガを行う(飽きっぽい私には、同じメニューより、色々な動画が有るチャンネルの方が続く)そして、朝散歩は、イヤホンで「GREATEST SHOW MAN」のサウンドトラックを聴きながら、(すごくテンションあがる!)近くの川沿い~公園を一回り、歩いたり、走ったり、約20分ぐらい。ちょうど自宅に戻って来る頃にサントラ07番の「This is Me」が回って来る。最高に力がみなぎる朝!皆さんもお試しあれ。


というわけで、コロナで新生活の出鼻をくじかれたけれども、時間的にはゆとりのあるこの時期に、メンタルヘルスを見直すための運動や生活習慣を作っていければと、ブログを何年かぶりに書いてみました。これも続けば良いけれど、あくまで、子どもが長くお昼寝してくれたり、まとまった時間が出来た時のみ。そして推敲する時間も無く、書きなぐりの長文。主婦はアウトプットする場がないので、ほぼ自分のためのブログです。今後もう少し、他の方にも役立つような内容になっていければいいなと思うけれど、まずは、「続けること」に集中してみようかな^^



# by hwaja_piccolo | 2020-04-20 13:52 | 日々

一人一人の人生を知り、在日という存在にリアリティーを持って

(2017年12月22日 大阪日日新聞掲載)

 私の属するKEYではホームページ上に在日コリアンなんでも相談室「晴れほこ」を開設しています。自分は何者? これって差別? どう生きていくべき? 身近に相談できる人がおらず一人でネットを見ては途方に暮れている、そんな在日青年の心の支えになれたらと開設、届いたメールは相談員スタッフで何度も読み返し、できる限り丁寧に返答するようにしています。

 「晴れほこ」の相談は年間数件。しかし悩んでいる若者は少ないのかというと決してそうではないと思います。メールで相談するには悩みを自分で言語化しなければなりません。でも多くの場合は何をどう考えたらいいのか、もやもやした霧の中にいます。ですから相談という形ではなくイベントに参加し関係性ができてから相談してくれる場合も多いです。

 これまでの相談で最も衝撃だったのはみどりちゃん(仮名・日本国籍)です。在日の少ない地域に住み、30年間誰にもルーツを話したことがなかった彼女。KEYに慣れてきた頃、思い切って親友にカミングアウトしたのですが、「みどりちゃんが在日だなんて言わないでほしい。私、嫌韓やから。それに在日って強制連行で来たんじゃないんやで」と返されたと言うのです。これには私も絶句しました。

 親友が在日だとわかって困惑ではなく拒絶。そして歴史論争を始める…。ひどく落ち込んだみどりちゃんが私につぶやいた言葉も気になりました。「親友は勉強家なんです。大学院も出ているし私よりも歴史のことをいっぱい知ってます」と。大学院出てるか知らないけど目の前の親友の気持ちもくめないなんてその子は人としてどうかしてるよと言いたい気持ちを抑えて、「歴史の勉強ってそんなことじゃないよ」と話すのに精いっぱいでした。

 歴史とは何のために学ぶのでしょうか。誰かに論争で勝つためでしょうか。念のため補足すると、在日の多くは強制連行より早い時期に植民地化に伴って徐々に渡日し、生活の基盤が日本になったために残留したわけで、戦争末期に強制連行された多くの労働者は炭鉱の飯場などで暮らしていたため解放後に帰還しました。また重労働でそのまま日本で亡くなった方も少なくありません。

 しかし、強制連行であるかどうかという一面的な議論にどれほどの意味があるでしょうか。そんな論争よりももっと具体的に在日コリアンの歴史を知ってほしい。どんな人が、どんなことを思って生きてきたか。たくさんの個別具体的な人生を知れば、もっと在日コリアンという存在にリアリティーを持つことができるのではないでしょうか。そうすれば、目の前の親友を傷つけている自分にも気付けるのではないでしょうか。

 私たちは今夏、本を出版しました。『在日コリアンの歴史を歩く-未来世代のためのガイドブック』(彩流社)です。戦後70年を節目に、在日の集住地区や戦争遺跡をフィールドワークしたり1世2世の聞き取りを行った記録です。また3世4世のコラムやキーワード解説なども加えました。

 この本はたくさんの在日の人生の軌跡と若い世代へのメッセージにあふれています。“「歴史の中に人あり」を体感させてくれる本”という感想を寄せてくれた方がいますが、まさに私たちが目指したかったところです。ぜひ多くの人に、本を通じて在日コリアン一人一人の人生に出会い、自分はどう生きていくべきかを考えるきっかけにしてもらえることを願っています。



# by hwaja_piccolo | 2017-12-22 13:36 | 澪標コラム

本を通じてコリアとつながる、ほっとできる居場所を目指して

 (2017年9月22日 大阪日日新聞掲載)

 私の活動する団体「在日コリアン青年連合(KEY)」は、先月末、鶴橋にある事務所をリノベーションし、コリアンブックカフェ「ちぇっちゃり」をオープンしました。韓国語で「チェッ(ク)」は本で、「チャリ」は場所を指します。韓国朝鮮に関する本が読め、ほっとできる居場所になればという思いを込めました。

 当初は、事務所をリノベーションしてより多くの人に開かれた場所にしたい、また、事務所の本棚にある在日コリアンの歴史や哲学についての貴重な本が読まれないまま眠っているので読んでもらえるようにしたい、という思いからでした。とくに昨今デマやヘイトスピーチが多い中、在日や朝鮮半島についてきちんと知ることのできるリソースセンターが在日コリアン当事者にとっても日本の青年にとってもいま必要なのではと考えました。

 そんなとき、週末によく近所のブックカフェに行くというメンバーの声。そこで近年広がっている「まちライブラリー」という取り組みを知り、ベースになっている礒井純充さん著『本で人をつなぐまちライブラリーのつくりかた』を読みました。そうか、本を準備してから来てもらうのではなく、外の人も巻き込んで寄贈を募ればいいのだとヒントを得、在日コリアンにまつわる本、歴史や社会科学だけでなく小説やエッセーなど読みやすいもの、また韓国社会や文化についての本、韓国語の本、絵本、写真集、その他のマイノリティーについての本など、呼び掛けてみると実に多くの方から寄贈が集まりました。現在蔵書は千冊を超え、本棚が足りず、うれしい悲鳴を上げています。

 また、リノベーションにかかる費用は、クラウドファンディングで集めました。初めての試みでどれほど期待できるか想像がつきませんでしたが、ヘイトがあふれる今だからこそ、こうした場所の必要性に多くの方が共感してくれたようです。リノベーション作業も、メンバーの共同作業で手作りの本棚やカウンター設置など、順調に進みました。

 そして先月8月26日(土)、多くの方の協力を得て、「ちぇっちゃり」はオープンしました。メディアの取材等もあり、週末には老若男女いろんな方に来ていただいています。入館・閲覧は無料。300円で柚子(ユズ)茶などドリンクが飲めます。なお、私たちKEYが在日コリアンの地域史や個人史をまとめた『在日コリアンの歴史を歩く-未来世代のためのガイドブック』も読めます。

 ブックカフェにあるたくさんの本を通じて、コリアとつながり、また、さまざまな人生や価値観に触れてもらえればと願うと同時に、私自身、ここからたくさんの出会いや交流が生まれることを楽しみにしています。

 ■コリアンブックカフェ「ちぇっちゃり」

 大阪市天王寺区味原町13の10の2F(JR・近鉄鶴橋駅徒歩3分、地下鉄千日前線鶴橋駅1番出口スグ)、電話06(6762)7261、開館は原則水木金(午前10時~午後5時)、土(午前11時~午後5時)、日曜月1回開館。※変更の場合もあるので事前にご確認ください。






# by hwaja_piccolo | 2017-09-22 16:35 | 澪標コラム

岸和田紡績の女工さんたちに導かれて

 (2017年6月30日 大阪日日新聞掲載)

 「生まれ変わってもまた女に生まれたい」。祖母が生前、母に語った言葉です。寡黙だった祖母だけに、この一言にどんな思いが込められていたのか。光州の田舎に生まれ、学校にも通えず10代で嫁入り、渡日。漢字やかなはもちろんハングルも読めず、読めるのは時計の文字盤と値札だけ。社交的な祖父からは、時に「家のことしか知らない」となじられることもあったそうです。そんな環境でもよく働きキレイ好きで、静かに私たちをかわいがってくれた祖母。苦労しても、女の人生に誇りを持ってきた、そんな祖母を私はすてきだと思います。

 在日女性の人生は、ほぼ家庭内での悲喜こもごもで、文字に残されることも無ければ歴史の主役になることも無かったように思えます。しかし実は、在日の形成史は女性たちのさまざまなネットワークが基礎を作ってきた部分が大きいようです。

 その象徴とも言えるのが、岸和田紡績の朝鮮人女工たちの闘いです。今から100年以上前の1918年頃から、数え12歳といった少女たちが、植民地支配による貧困を背景に、口減らしとして、あるいは日本に来たら勉強できると聞いて、済州島や朝鮮半島南部から海を越えて渡ってきました。

 女工たちは沖縄、奄美、五島列島、被差別部落などからも集められ、みな日本の産業発展のために安く使われましたが、なかでも朝鮮人女工はわざと調子の悪い機械をあてがわれるなどして、より低賃金の状態に置かれていました。

 24時間稼働する工場で昼夜2交代の長時間労働、不衛生な寄宿舎、粗末な食事。逃亡や病死もありました。そんな中でも、月1回の工場の休みに朝鮮教会(在日大韓基督教会の前身)でお祈りしたり、ハングルの夜学を開いて集まっていた女工たちがいました。

 1930年、岸和田紡績は世界恐慌を背景に大規模なリストラと賃下げを実施、それに抵抗する大きな労働争議が起こりましたが、闘いの土台となったのは日々の女工たちのコミュニティーでした。労働争議の現場となった岸和田紡績堺工場は、現在の南海本線堺駅前の戎島団地で、争議の際に女工たちが立てこもった場所は私の実家がある七道だったことが分かりました。

 私の両親は西成生まれで、この闘いに直接のルーツはありませんが、何か縁があるように思えてなりません。現在、社会人として働きながら、平日夜や週末にコミュニティー活動をしている私は、もしかしたら女工さんたちに導かれているのかもしれません。

 堺工場での労働争議は警察の弾圧も受けて敗北しましたが、岸和田紡績の二代目社長として弾圧する側であった寺田甚吉氏(南海電鉄の社長や岸和田市長も務めた)は、戦後47年、朝鮮人の民族教育のために土地を無償で提供しました。それが岸和田朝鮮人小学校です。女工たちの闘いが、南大阪の民族教育の礎を作ったのです。その地も今はマンションとなっていますが、ずっと語り継いでいきたい歴史です。




# by hwaja_piccolo | 2017-06-30 10:00 | 澪標コラム

在日コリアンやマイノリティの人権など。


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