一人一人の人生を知り、在日という存在にリアリティーを持って

(2017年12月22日 大阪日日新聞掲載)

 私の属するKEYではホームページ上に在日コリアンなんでも相談室「晴れほこ」を開設しています。自分は何者? これって差別? どう生きていくべき? 身近に相談できる人がおらず一人でネットを見ては途方に暮れている、そんな在日青年の心の支えになれたらと開設、届いたメールは相談員スタッフで何度も読み返し、できる限り丁寧に返答するようにしています。

 「晴れほこ」の相談は年間数件。しかし悩んでいる若者は少ないのかというと決してそうではないと思います。メールで相談するには悩みを自分で言語化しなければなりません。でも多くの場合は何をどう考えたらいいのか、もやもやした霧の中にいます。ですから相談という形ではなくイベントに参加し関係性ができてから相談してくれる場合も多いです。

 これまでの相談で最も衝撃だったのはみどりちゃん(仮名・日本国籍)です。在日の少ない地域に住み、30年間誰にもルーツを話したことがなかった彼女。KEYに慣れてきた頃、思い切って親友にカミングアウトしたのですが、「みどりちゃんが在日だなんて言わないでほしい。私、嫌韓やから。それに在日って強制連行で来たんじゃないんやで」と返されたと言うのです。これには私も絶句しました。

 親友が在日だとわかって困惑ではなく拒絶。そして歴史論争を始める…。ひどく落ち込んだみどりちゃんが私につぶやいた言葉も気になりました。「親友は勉強家なんです。大学院も出ているし私よりも歴史のことをいっぱい知ってます」と。大学院出てるか知らないけど目の前の親友の気持ちもくめないなんてその子は人としてどうかしてるよと言いたい気持ちを抑えて、「歴史の勉強ってそんなことじゃないよ」と話すのに精いっぱいでした。

 歴史とは何のために学ぶのでしょうか。誰かに論争で勝つためでしょうか。念のため補足すると、在日の多くは強制連行より早い時期に植民地化に伴って徐々に渡日し、生活の基盤が日本になったために残留したわけで、戦争末期に強制連行された多くの労働者は炭鉱の飯場などで暮らしていたため解放後に帰還しました。また重労働でそのまま日本で亡くなった方も少なくありません。

 しかし、強制連行であるかどうかという一面的な議論にどれほどの意味があるでしょうか。そんな論争よりももっと具体的に在日コリアンの歴史を知ってほしい。どんな人が、どんなことを思って生きてきたか。たくさんの個別具体的な人生を知れば、もっと在日コリアンという存在にリアリティーを持つことができるのではないでしょうか。そうすれば、目の前の親友を傷つけている自分にも気付けるのではないでしょうか。

 私たちは今夏、本を出版しました。『在日コリアンの歴史を歩く-未来世代のためのガイドブック』(彩流社)です。戦後70年を節目に、在日の集住地区や戦争遺跡をフィールドワークしたり1世2世の聞き取りを行った記録です。また3世4世のコラムやキーワード解説なども加えました。

 この本はたくさんの在日の人生の軌跡と若い世代へのメッセージにあふれています。“「歴史の中に人あり」を体感させてくれる本”という感想を寄せてくれた方がいますが、まさに私たちが目指したかったところです。ぜひ多くの人に、本を通じて在日コリアン一人一人の人生に出会い、自分はどう生きていくべきかを考えるきっかけにしてもらえることを願っています。



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# by hwaja_piccolo | 2017-12-22 13:36 | 澪標コラム

本を通じてコリアとつながる、ほっとできる居場所を目指して

 (2017年9月22日 大阪日日新聞掲載)

 私の活動する団体「在日コリアン青年連合(KEY)」は、先月末、鶴橋にある事務所をリノベーションし、コリアンブックカフェ「ちぇっちゃり」をオープンしました。韓国語で「チェッ(ク)」は本で、「チャリ」は場所を指します。韓国朝鮮に関する本が読め、ほっとできる居場所になればという思いを込めました。

 当初は、事務所をリノベーションしてより多くの人に開かれた場所にしたい、また、事務所の本棚にある在日コリアンの歴史や哲学についての貴重な本が読まれないまま眠っているので読んでもらえるようにしたい、という思いからでした。とくに昨今デマやヘイトスピーチが多い中、在日や朝鮮半島についてきちんと知ることのできるリソースセンターが在日コリアン当事者にとっても日本の青年にとってもいま必要なのではと考えました。

 そんなとき、週末によく近所のブックカフェに行くというメンバーの声。そこで近年広がっている「まちライブラリー」という取り組みを知り、ベースになっている礒井純充さん著『本で人をつなぐまちライブラリーのつくりかた』を読みました。そうか、本を準備してから来てもらうのではなく、外の人も巻き込んで寄贈を募ればいいのだとヒントを得、在日コリアンにまつわる本、歴史や社会科学だけでなく小説やエッセーなど読みやすいもの、また韓国社会や文化についての本、韓国語の本、絵本、写真集、その他のマイノリティーについての本など、呼び掛けてみると実に多くの方から寄贈が集まりました。現在蔵書は千冊を超え、本棚が足りず、うれしい悲鳴を上げています。

 また、リノベーションにかかる費用は、クラウドファンディングで集めました。初めての試みでどれほど期待できるか想像がつきませんでしたが、ヘイトがあふれる今だからこそ、こうした場所の必要性に多くの方が共感してくれたようです。リノベーション作業も、メンバーの共同作業で手作りの本棚やカウンター設置など、順調に進みました。

 そして先月8月26日(土)、多くの方の協力を得て、「ちぇっちゃり」はオープンしました。メディアの取材等もあり、週末には老若男女いろんな方に来ていただいています。入館・閲覧は無料。300円で柚子(ユズ)茶などドリンクが飲めます。なお、私たちKEYが在日コリアンの地域史や個人史をまとめた『在日コリアンの歴史を歩く-未来世代のためのガイドブック』も読めます。

 ブックカフェにあるたくさんの本を通じて、コリアとつながり、また、さまざまな人生や価値観に触れてもらえればと願うと同時に、私自身、ここからたくさんの出会いや交流が生まれることを楽しみにしています。

 ■コリアンブックカフェ「ちぇっちゃり」

 大阪市天王寺区味原町13の10の2F(JR・近鉄鶴橋駅徒歩3分、地下鉄千日前線鶴橋駅1番出口スグ)、電話06(6762)7261、開館は原則水木金(午前10時~午後5時)、土(午前11時~午後5時)、日曜月1回開館。※変更の場合もあるので事前にご確認ください。






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# by hwaja_piccolo | 2017-09-22 16:35 | 澪標コラム

岸和田紡績の女工さんたちに導かれて

 (2017年6月30日 大阪日日新聞掲載)

 「生まれ変わってもまた女に生まれたい」。祖母が生前、母に語った言葉です。寡黙だった祖母だけに、この一言にどんな思いが込められていたのか。光州の田舎に生まれ、学校にも通えず10代で嫁入り、渡日。漢字やかなはもちろんハングルも読めず、読めるのは時計の文字盤と値札だけ。社交的な祖父からは、時に「家のことしか知らない」となじられることもあったそうです。そんな環境でもよく働きキレイ好きで、静かに私たちをかわいがってくれた祖母。苦労しても、女の人生に誇りを持ってきた、そんな祖母を私はすてきだと思います。

 在日女性の人生は、ほぼ家庭内での悲喜こもごもで、文字に残されることも無ければ歴史の主役になることも無かったように思えます。しかし実は、在日の形成史は女性たちのさまざまなネットワークが基礎を作ってきた部分が大きいようです。

 その象徴とも言えるのが、岸和田紡績の朝鮮人女工たちの闘いです。今から100年以上前の1918年頃から、数え12歳といった少女たちが、植民地支配による貧困を背景に、口減らしとして、あるいは日本に来たら勉強できると聞いて、済州島や朝鮮半島南部から海を越えて渡ってきました。

 女工たちは沖縄、奄美、五島列島、被差別部落などからも集められ、みな日本の産業発展のために安く使われましたが、なかでも朝鮮人女工はわざと調子の悪い機械をあてがわれるなどして、より低賃金の状態に置かれていました。

 24時間稼働する工場で昼夜2交代の長時間労働、不衛生な寄宿舎、粗末な食事。逃亡や病死もありました。そんな中でも、月1回の工場の休みに朝鮮教会(在日大韓基督教会の前身)でお祈りしたり、ハングルの夜学を開いて集まっていた女工たちがいました。

 1930年、岸和田紡績は世界恐慌を背景に大規模なリストラと賃下げを実施、それに抵抗する大きな労働争議が起こりましたが、闘いの土台となったのは日々の女工たちのコミュニティーでした。労働争議の現場となった岸和田紡績堺工場は、現在の南海本線堺駅前の戎島団地で、争議の際に女工たちが立てこもった場所は私の実家がある七道だったことが分かりました。

 私の両親は西成生まれで、この闘いに直接のルーツはありませんが、何か縁があるように思えてなりません。現在、社会人として働きながら、平日夜や週末にコミュニティー活動をしている私は、もしかしたら女工さんたちに導かれているのかもしれません。

 堺工場での労働争議は警察の弾圧も受けて敗北しましたが、岸和田紡績の二代目社長として弾圧する側であった寺田甚吉氏(南海電鉄の社長や岸和田市長も務めた)は、戦後47年、朝鮮人の民族教育のために土地を無償で提供しました。それが岸和田朝鮮人小学校です。女工たちの闘いが、南大阪の民族教育の礎を作ったのです。その地も今はマンションとなっていますが、ずっと語り継いでいきたい歴史です。




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# by hwaja_piccolo | 2017-06-30 10:00 | 澪標コラム

遺骨が引き合わせてくれたかけがえのない出会い

 (2017年4月7日大阪日日新聞掲載)

 前回のコラムで、大学1回生の夏に新聞で見つけた日本・在日・韓国3者の共同イベントで初めて本名を呼ばれたと書きました。そのイベントは「日韓共同ワークショップ」(後に「東アジア共同ワークショップ」と改称)というもので、1997年北海道の強制労働犠牲者の遺骨発掘から始まったグループです。私が参加した99年は舞台を大阪に移し「在日コリアン」をテーマにさまざまなフィールドワークが行われました。

 私は「民族教育」チームに参加し、朝鮮学校・建国学院(韓国系民族学校)・日本の公立学校の中にある民族学級という三つの現場を訪問しました。それまで民族教育について抱いていた「民族とはこうあるべき」と上から強要されるイメージが、実は奪われた言葉を取り戻すべく下から勝ち取ってきた尊い権利であることに気づくことができました。

 2年後の2001年夏、私も遺骨発掘に参加する機会を得ました。北海道の北部で酷寒の地、朱鞠内(シュマリナイ=アイヌ語で「狐の川」もしくは「石の多い川」)では、1937~43年、ダム建設工事に多数の朝鮮人と日本人タコ部屋労働者が過酷な労働を強いられました。そこで犠牲になった方の遺骨が眠っていることを地元の住職や歴史学者が70年代から調査を続け、90年代に入り民主化した韓国との交流が可能になったことで、日韓の学生たちを集めて一緒に汗を流して歴史認識を共有する取り組みとしてワークショップが始められました。

 遺骨があると考えられたのは、朱鞠内共同墓地の裏のささやぶ周辺。グループごとに区分けして、スコップで掘っていきます。遺骨発掘という重いテーマにもかかわらず、夏休みの旅行気分の私たち学生は、互いに拙い韓国語と日本語で時に冗談を言い合いながら、昼は汗を流し、夜はお酒を飲んで盛り上がりました。

 そうして発掘3日目、ついに遺骨が出てきました。拷問を受けたような、後ろ手にされた形で出てきたその遺骨に、私たちは息をのみました。遺骨を前に、日本人も在日も韓国人も無く、誰からともなく手を強く握り合いながら、遺骨となった方の人生を思って泣きました。そして朝鮮の伝統式の土まんじゅうのお墓を作り、クンジョル(朝鮮式の礼)をしました。続いてアイヌ式、仏式、キリスト教式、参加者それぞれの思いで追悼し、忘れられない一日となりました。

 その後も継続された発掘作業で見つかった遺骨や各地の寺院で納骨されていたものあわせて151体の遺骨を、戦後70年の2015年秋、民間の手で祖国に返す取り組みが行われました。「70年ぶりの里帰り」。当時の朝鮮人が北海道へと連行されてきた道を逆にたどり、10日間かけて各地で追悼式を行いながら玄界灘を渡り、最終的にソウルで大規模な追悼式と納骨が行われました。

 10年、日本政府は韓国併合100年の首相談話で「朝鮮半島出身者の遺骨返還支援といった人道的な協力を今後とも誠実に実施していきます」と表明しましたが実行されることはありませんでした。そしてやむなく民間の手で奉還が行われることとなったのです。

 長年この問題に真摯(しんし)に取り組んでこられた殿平善彦住職をはじめとする尊敬すべき日本の先生方、そしてともに遺骨の前で泣いた日本と韓国の友人たちとの出会いは、私にとってかけがえのないものです。教科書では学ぶことのできない、真の和解のための歴史認識の共有。その経験が、歴史修正主義がはびこる時代にあっても、常に私を支えてくれています。



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# by hwaja_piccolo | 2017-04-07 10:00 | 澪標コラム

一人では確立できなかったアイデンティティー

 (2017/2/20 大阪日日新聞掲載)

はじめまして。私は堺出身の在日コリアン3世で、在日コリアン青年連合(KEY)のスタッフをしています。KEYとは、朝鮮半島にルーツのある10代~30代の青年で構成する非政府組織(NGO)で、民族的アイデンティティーの育成と、東アジアの平和と人権を確立するための社会意識を育む教育活動を行う団体です。青年期において、アイデンティティーを育むための仲間やコミュニティーとの出会いはとても大切なものです。私自身も18歳までそういった出会いがなく、自分は何者だろうかと悶々(もんもん)としてきました。

 私は物心ついたころから両親に、「あんたは韓国人や。恥ずかしいことやないよ」と教えられてきました。しかし韓国語が話せるわけでもない自分は韓国人と言えるのか? 他方、学校では、まるで日本人しかいないように進行される「わが国は」で始まる社会の授業、「I am a Japanese」で始まる英語の授業。私の居場所ってどこ? 心の奥で叫んでいました。

 とくに疑問に思ったのは「人権」の授業。在日に対する差別はやめようという啓発のビデオ。私は日本名を使っていたので先生から名指しされることも無かったですが、みんなと同一に感想文を求められるのも当惑しました。私は素直に書いてみました。「先生、みんなは差別はいけないと思いましたと書けばいいのでしょうが、私は一体、何と書けばいいんですか?」。返答は無く、子ども心に「人権」てそんな軽いのん?と思いました。

 高校の人権の授業は、リバティおおさかの学芸員の方が講演に来られました。被差別部落の女性で、個人史とともに、自分は部落問題では被差別側だけれど、日本国籍を持った健常者であり、差別する側でありうる。差別とは誰もが関係のある問題ですと話してくれたのがスッと心に入りました。

 大学1回生の夏には、新聞記事で見つけた日本・在日・韓国3者の共同イベントに参加しました。日本名で参加を申し込みましたが、この5日間だけ本名を使ってみないかと勧められ、初めて「ファジャ」と呼ばれました。初対面でもファーストネームで呼び合うあったかい空間。名前とは、呼ばれることで愛着を持つものなんだ、「名乗る」より先に「呼ばれる」があるんだ! と体で感じたのはコペルニクス的転回でした。

 愛着を持ち始めたこの名前とどう付き合っていくか。私は自分を確立するための言葉を求めていました。そこでKEYの存在も知り、さまざまな先輩たちから生き方を学びました。

 在日コリアンというアイデンティティーは、自分がどう生きるかという個人的な問題である一方で、共同体意識、社会意識でもあるので、一人で確立することは難しいと思います。悩んでいるありのままの自分をあたたかく包んでもらう経験と、魅力的に生きている先輩たちとの出会い、そこからコミュニティーへの愛着と自己肯定が確立されていく。ヘイトスピーチが深刻化する昨今、私たちのような自助グループの社会的必要性はますます高まっているのではないかと感じています。




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# by hwaja_piccolo | 2017-02-20 10:00 | 澪標コラム

在日コリアンやマイノリティの人権など。


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